パーソナルトレーナーになった理由について、各トレーナーがご紹介するブログです。パーソナルトレーナーに馴染みの無い方々に少しでも親近感を持って頂き、お気軽に相談して頂くために掲載します。初回は私、店長の、奥健(おくたけし)から始めさせていただきます。

私は、22歳から53歳までの31年間、某金融機関に勤務し主に営業や企画部門を担当しておりました。全国転勤のある企業でしたが、私は関西勤務が長く、関西には知人も多く幼少時代に関西で過ごしたこともあり、親近感を持っておりました。現在、高槻店長に就任しているのも、そうした事情からです。

40歳の時に、管理職で私には荷の重い仕事を任され、精神的にかなり追い込まれた時期がありました。その際に筋力トレーニングによって精神的苦痛を克服した経験から、将来はこの仕事で人のお役に立てないかと考えるようになりました。

もともと20代から筋力トレーニングを続けておりましたが、パーソナルトレーニングというものがあるのを知ったのは、この40歳の頃です。人生の危機から救ってくれるほどの影響力を持つこの仕事は素晴らしいなと思いました。その後、金融機関に勤めながらも少しずつ勉強を重ね、出来ればグループ事業としてパーソナルトレーニング事業を立ち上げたいと真剣に考え、会社に提案したりしていました。

人生100年時代という言葉が飛び交うようになり、私自身も一生同じ会社で勤めるよりも、自分が人の健康にお役に立てるビジネスを立ち上げられないか、と真剣に悩む日々が続きました。

51歳の夏休み、私はパーソナルトレーニング事業を学ぶために、いくつかのトレーニングジムをネットで検索し飛び込み訪問をしていました。この年齢で何かを始めるには遅すぎるかなと思いつつも、一縷の望みを捨てられなかったのです。

その際に出会ったのが、心身健康倶楽部の枝光代表、当時50歳でした。そして枝光代表も数年前に永年勤めた大手メーカーを自己都合退職し、独立したというお話を聞いたのです。1歳年下の枝光代表に、人生まだまだこれからですよ!楽しいですよ!と励まされ、私はその日から仕事が終わった深夜や土日を活用して再度勉強を始めました。心身健康倶楽部四谷店に通って、実際のお客様を担当させて頂くなど実務経験も積みました。

そして満を持して31年間勤めた愛着のある会社を辞めました。会社には全く不満はなく、周囲の職員からも大変良くして頂いたので後ろ髪を引かれる思いでしたが、10年間も考えに考え抜いて決断したことだと言い聞かせ、新たな道に踏み出したのです。

初めてみると大変なことも多々ありますが、お客様の笑顔を見ると、苦しいことも吹き飛ぶ思いです。人間のからだの機能は知れば知るほど奥が深いと感じます。先日はやっとですが、健康運動指導士の資格も取得できました。お客様のお役に立ちたいという一心で、これからも日々勉強を続けていきたいと思います。

奥健